内務省の昭和7年修正測図5万図「城崎」の一部。地形的に現代と大きな相違はない。城崎温泉の対岸、楽々浦の入り江が特徴的。
志賀直哉が1917(大正6)年に発表した小説『城の崎にて』は、 で執筆されたとのこと。
は、160万年前の火山活動によりマグマが冷え固まって出来たもの。1807年に命名され、1884年には東大の小藤文次郎博士が玄武洞の名から岩石の日本名を「玄武岩」と命名した。1931年に国の天然記念物に指定。
地質図を見ると、円山川の両岸に紫色で「アルカリ玄武岩・粗面玄武岩 溶岩・火砕岩」と出る。
柱状節理・板状節理など見事。 には赤石と玄武岩を組み合わせた石垣があるとのこと。
1929年、松山基範はここの玄武岩の持つ磁気が、現在の地磁気と反対の向きを指していることを発見した。彼はこの地の玄武岩が出来たときの地磁気の向きが現在と反対の向きであったと判断し、かつて地球の磁場が反転したとする説を発表した。これはその後広く認められるようになり、現在では260万年前から78万年前までは現在と反対向きであったことが認められている。この時期を彼の名にちなんで松山期(松山逆磁極期)と呼んでいる(Wikipedia)