古い土木学会誌には1923年の関東大震災についての講演録が残っている。
築堤は最も被害が激甚を極めまして代表的のものは国府津から松田及小田原に掛けての区間であらうと思ひます......30尺の築堤の上にあったレールは元の田圃面以下に落ちた処があつたと言つても宜い箇所があつたのでございます......少くとも築堤と云うものは今度の地震に対し抵抗力がなかつたものと見ることが出来るのでございます。
根府川付近は殆ど影も形もありませぬが......根府川から先も中々根府川に劣らないやうな被害状態でありまして何処に線路があるかも分らない場所もあるのでございます
(「震災による鐡道の被害並に應急處置」(加賀山學、第10巻第2号 1924(大正13)年4月発行))
被害は、橋梁が117か所約31%、トンネルが65,000尺約48%とも書いてあるが、約百年前の技術では盛土の施工にもっとも問題があったことがうかがえる。
「土木建築工事画報」第1巻第8号(1925年)から
今年7月に起きた熱海市伊豆山の災害で、東海道新幹線は危機一髪だった。泉越トンネルと第一熱海トンネルの間、約 195 m の明かり区間はほぼ盛土だが、 (伊豆山Bv)が樹木や自動車などで閉塞せず泥流がスムースに流れ下ったのは幸運だったと思える。
鈴木隆介著『建設技術者のための地形図読図入門』(古今書院)の第4巻には、似たケースについていろいろ指摘がある。
五泉市の磐越西線、かつて は谷の出口にある。その対岸、阿賀町の は要注意という。
同じく磐越自動車道の は地すべり堆の切土からトンネルに設計変更したのだろうとのこと。
米沢市、奥羽本線の は上流に地すべり地形があり、危険性を指摘される(この区間は盛土伏樋が多い)。
美祢市、中国自動車道 は「両切の北側法面が大規模に崩壊したため開削箱型トンネルに変更されたことは明白」という。
妙高市、上信越自動車道の は膨出型の地すべり地形のため何らかの問題(法面の変状など)が発生した可能性を示唆。
高知県の土讃線は昔、片切片盛で通過していたため落石や土石流災害をしばしば受けた。現在の は大王下の地すべり面を避けて地山に大きく振り込まれている。
東海北陸自動車道の は「10~15 m の盛土で......沖積錐を伴う小流域の流水を伏樋で流下させている。平水時には問題はないが豪雨などに起因して再び土石流が発生すると、その伏樋が閉塞され排水不良となり、盛土が損傷する可能性がある」とのこと。70年代画像と見比べると、たしかに大盛りに見える。
先月、長野県岡谷市で3人が亡くなる大雨災害があった。両切の高速道路の間にある を流下した土石流に襲われていた。
切り盛りではないが、岩手県の国道340号 は断層線谷である接頭直線谷の鞍部を通り、南北の両坑口は谷底との指摘。
東隣にある廃止されたJR岩泉線の押角トンネルは良好な位置にあるとのこと(隧道を拡幅再利用し道路トンネルとして2020年12月13日に新たに開通した)。
『土木建築工事画報』第11巻9号(1935年)に「雄鹿戸隧道開鑿工事概要」(上野節夫・岩手県土木課長)がある。
昭和10年という時代を感じさせるが、本文には断層の「だ」の字も書かれていない。旧縣道はいま地図上で跡形もない。
掘鑿は低設導坑式により全部手掘で進み、碿の運搬には12ポンドレールを敷設、手押トロを使用した
技術も知見も乏しかった手仕事の時代の構造物ゆえ、やむをえないこと。そういう物件が日本中にたくさん、まだまだ現役で使用されているわけだから、改修や改良、営繕が大切なのだろうと思う(盛土や切土がすべからく危険だ、などと言っているわけじゃない)。
鉄道のときは直線だったという押角トンネルは、現在は北(岩泉町)側坑口付近が少し山側に逃げ曲がっている。これも最新の知見と技術に拠る理由があるのだろう。
なお先月の大雨により島根県出雲市多伎町で発生した のため、国道9号とJR山陰本線が不通になったまま。
土木専攻4年の息子氏が来春には建設コンサルに就職する予定なので、追い追いあれこれ教えてもらうつもり。