次の古い地図は長野市の犀川。最近右岸で地滑りが起きたあたり、河原に鉱泉記号が付してある(大正元年測図昭和12年修正5万図「長野」参謀本部 Stanford Digital Repository から)。
小田切ダムが1954年に完成して温泉記号は消えているが、 では今なお硫黄冷泉が給湯されているらしい。
白骨温泉 上盤は、温泉水で溶かされた石灰沈着成分が再堆積した地層とのこと。
木島平村の は高社山(1351.4 m)崩壊による流れ山なのだそうだ。
松本市の梓川沿いにある (明神岩)は東西 9 m、南北 7.5 m のチャート巨岩。ドコから来たの?
虫倉山の周囲は地すべり地形が多いが、長野市中条日下野にある は1847年に発生した善光寺地震で土塊ごと 180m ほど移動、今も傾いたまま止まっている。
次は大正元年測図昭和12年修正5万図「御代田」参謀本部 Stanford Digital Repository から佐久市の南東端、砂岩泥岩互層のところ。荷通ノ湯、小海ノ湯などの鉱泉記号があるが現在は消えて存在しない。青沼村の赤谷という地名からして、自然災害だろうか? この河川(谷川)は2019年の台風19号でも流失した橋が川を塞いで被災したようだ。
もうひとつ消えた鉱泉記号、大正元年測図昭和4年要部修正5万図「蓼科山」から。
なぜそこに? 自然湧出? 上総掘り?
『歴史的大規模土砂災害地点を歩く』コラム73「大月川岩屑なだれによる天然ダム形成(887)と303日後の天然ダム決壊による千曲川の仁和洪水」に掲げられる図によると、ここは流れ山の範疇ではないようだ。稲子湯のような硫黄・炭酸泉だったのだろうか。
白骨温泉に行ったら湯に浸かるのと酒を呑むことで頭がいっぱいになって地形まで見ませんよね(気づかなかった)
こちらも参照を=地形図の温泉記号一覧マップ