1971(昭和46)年11月11日、川崎市の生田緑地内の斜面において人工降雨による崩壊実験がおこなわれた際に、流動した崩壊土砂によって技術者や報道関係者が被災し15人が亡くなったとのこと。今から50年前の出来事。
参謀本部昭和12年測図1万分の1「登戸」Stanford Digital Repository から。
まだ宅地開発が及ぶ前なので、元々の地形を読みやすい。
生田村にも向丘村にも道幅 2 m 以上の村道(実線+破線)が描かれているが、切土が多いのは示唆的。
南東の隣の谷、源頭付近に鴛鴦沼(おしぬま)の注記がある。この低湿地を示唆する地名、現在は用いられていないようだが、 の名称で残っている。鴛鴦とはオシドリのこと。現在の地形図と、戦後の時代別航空写真を次に。
は横浜市の小学生も社会科見学で訪れるところ。なぜそこに整備したのだろう? と訝しんだが、開園したのは1967年とのこと。斜面崩壊事故の4年前だ。
三等三角点 が 112.7 m で専修大学の敷地内に記載されている。しかし地面は海抜 94~95 m ほどのはず(古い地図の先祖は 95.2 m)だから、4階建て校舎の屋上に設置されているのだろう(三角点は地面にあるとは限らないので)。
この周辺地域、尾根は切って平坦にされ、少なからぬ谷が盛土で埋められていることもうかがえる。
※2021.10.29 本記事を修正しました。「ローム斜面崩壊実験事故の現場」を参照して下さい。