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十勝岳の大正泥流

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古い5万分の1地形図「十勝岳」(参謀本部、大正10年)の一部。
十勝岳の噴火による「大正泥流」で死者・行方不明者144人を出したのが大正15(1926)年なので、その前。

熱い岩屑雪崩が積雪を溶かし大規模な泥流を発生させたといわれる。泥流は美瑛川と富良野川を一気に流下し、20分で約25km離れた上富良野市街に到達した。
大正火口の近くに記号とともに「いわう」注記がある。その西北西に「硫黄山」注記もあるが、こちらが泥流に飲み込まれた平山鉱業所宿舎(犠牲者25名)だろう。

透過:        色別標高図:   

古い地図の「美瑛温泉」(現在の望岳台の近く)は丸谷氏の経営で「丸谷温泉」とも呼ばれていたが、家族3名が犠牲となったという。同様に「瀧ノ湯」は現在の「吹上温泉」か。
日新地区では小学校などが泥流に呑まれ被害甚大(64名)。

草分地区は44名が犠牲に。「三浦綾子文学碑」は、大正泥流を題材にした小説『泥流地帯』の一節が刻まれているそうだ。
地質図を見ることで、泥流の動きをおおよそ想像できる感じがする。
積雪期の火山噴火は、かように恐ろしいということか。
噴火予知など無理難題で100年後も不可能と個人的には思う。