戦後70周年。私の祖父は海軍で南方へ出征したが、多くを語ることはなかった。
吉行淳之介(1924-1994)と田村隆一(1923-1998)の「湧き水について」という対談がある(『ユリイカ』1974年7月号)。海軍だった田村氏が、戦時中に京都宮津の神宮寺にいたことがあり、ここの裏山からひかれた湧き水が「ものすごくうまいのよ」というマクラから始まる。年月が経って氏はこの水をもう一度飲みたいと現地を訪れた話をするが、次第に「勤勉と怠惰とは何か?」という思索のために「湧き水」はメタファーとなる。
田村 涸れる場合もあるんだよ。そういうところを許せ、という感情をもたないものが文学や文明を論ずる必要ないの。湧き水にあたった人も、湧き水自身が湧いてるわけじゃないんだよ。そこに水脈があるの。なにかの歴史的な偶然、歴史的な状況、そういうもので掘り当てる場合があるの。しかし、それをバック・アップするものが文明であり歴史だと、ぼくは思うのよ。どうも申し訳ありません、レクチュアみたいになっちゃって。
吉行 いやいや、これはおもしろい。
田村 そういう状況に置かれた場合に個人とはなにかといったら、シャイにならない男は、ぼくはもうジェントルマンとは扱わないね。
吉行 そうなんだよ。そのへんがだから、ひとからみたら怠惰だと思われるんだ。
田村 だから一所懸命っていうのは「所」だろ。湧き水を探しに行こう、その所だよ。一生懸命になっては、もう駄目なんだよ。一つの生に命をかけるじゃ論理的にも矛盾してるじゃないか。一つの所に命をかけるのよ。それじゃないと発音から、意味から、ぜんぶ変わってくる。イッショーケンメイなんて、自分の生に誰が命かけるんだい、薄馬鹿。イッショケンメイっていうんだよ。
吉行 そうそう、所なんだよ。
田村 その所っていうのは湧き水が出る所よ、湧き水が。出なくてもいいじゃないか。湧き水を探しに行こうよ。その水脈はあります。水脈はしかし、個人じゃ駄目なんだよ。個人じゃつくれないんだ。
この対談当時、ご両人は50歳か51歳だが、この達観、矜持と謙虚は、お見事と言うほかない。
戦争を経験した大正うまれの方の人生観は、平和な現代人にも敷衍できるし、水脈は、あらがいようのない「世」の流れでもあると解することも誤りではなかろう。唯我独尊は勤勉に映る、しかしそれでは駄目ということだと私は思う。「一生懸命」ではなく「一所懸命」であることは、容易なようで容易でない。
知命(50)に近づきつつある私もまた「湧き水」を探さないといけない。