豊後街道は、肥後熊本の藩主・加藤清正が軍事と交通の重要ルートとして整備した。この街道の最大の難所が、阿蘇カルデラの東端・阿蘇市一の宮町の旧宿場町・坂梨から東外輪山にいたる標高差約200mの急坂「滝室坂」。
鈴木隆介著『建設技術者のための地形図読図入門』(古今書院)によれば
カルデラ壁には2~3段の露岩帯があり、熔結凝灰岩の存在を示す・・・
カルデラ壁は著しく開析され、多くの短い必従谷が発達・・・
土石流の頻発で生じた沖積錐が側方に連続的に発達・・・
鉄道・道路ともに落石災害が多いであろう
カルデラ壁の外(東)側は火砕流台地。
現在の国道57号「滝室坂」は線形が悪く急勾配で、連続雨量140mmで事前通行規制が実施され、冬季は積雪・凍結の問題がある。
2012年7月の九州北部豪雨では法面が崩壊、40日間も全面通行止めとなった。現在の地図では砂防堰堤がたくさん。
そこで、地域高規格道路「中九州横断道路」の一部となる「滝室坂道路」が事業中(次の地図中、赤い線)。
滝室坂トンネル(仮称、約4.8km)の着工式が今年6月24日、阿蘇市波野の坑口で行なわれたとのこと。
結構な勾配だが(4%らしい)、開通時期は未定。
5万分の1地形図「阿蘇山」(昭和7年修測・参謀本部、Stanford Digital Repository)の一部、滝室坂付近。
古い街道の滝室坂ルート(石畳であったと伝えられている)は谷を直登するように描かれているが、1990年の水害で被害を受け廃道となったらしい。
豊肥本線は熊本地震により肥後大津~阿蘇の間が運休中で復旧のメドは立っていないが、滝室坂の周辺もまたリスクが高そう(こちらも2012年7月の豪雨で運休した)。
カルデラの反対側「立野」のようなスイッチバックは困難だったのだろうか、線路は高度を稼ぐために大きく南へ迂回しているが、地図上で見てもやや怖い(もっとも、中国の成昆線くらいになると別格で、いろんな意味で恐怖であった)。
この区間(大分県・玉来駅~宮地駅間)の開通は1928年(昭和3年)とのこと。
私は立野のほかカルデラ北端の大観峰しか通ったことがないが、外輪山の内外を行き来する道をひと通りストリートビューで見てみると、土木的にはシビアな状況なのだろう。