明治33年測図昭和11年修正参謀本部5万図「後藤寺」Stanford Digital Repository からおもに遠賀川右支の地域。
この当時は炭鉱の全盛期で鉄道網が伸びているが、80年代に添田線、上山田線、漆生線が相次いで廃止。三井セメント工場線というのもあった。日田彦山線はまだ途中まで
大小の炭鉱が昭和期に次々と閉山、未成に終わった油須原線もある
おおむね古第三紀層とのことだが船尾駅の周辺は石灰岩質で麻生セメント工場がある。香春岳から平尾台につらなるものか?
図郭のわずか南だが、二又トンネル爆発事故が1945 (昭和20) 年11月12日に発生した。これは Wikipedia に詳しい。
県営の油木ダムは1971年竣工。住居のほか添田町役場津野支所、小・中学校、郵便局、駐在所、農協支所などなど水没したそうだ。力丸、鱒淵、畑、松ヶ江などのダムおよび頓田貯水池とともに北九州市の水がめとなっており、さらに伊良原ダムが2018年3月に竣工し利水機能が強化されたとのこと。北九州市に限らず福岡県は渇水を起こしやすいとはいわれる。
鱒淵ダム (図郭の北側、1973年竣工) は、もともと存在していた門司 (福智) 貯水池と頂吉水源地および福智と屋敷の2集落が水没して完成したようだ (60年代画像を参照)。福智山の名は、筑豊側だけでなく旧企救郡側にも由来があるということか?
次は Japanese Map Warper から明治33年測図昭和11年修正5万図、行橋
筑豊側には福地川と福智川の自然地名と福智神社中宮と下宮はあるが大字や小字はない、福智町は赤池町と金田町と方城町が合併して生まれた町名なので最近のこと。
山頂には福智神社上宮が筑前と豊前の2社あるらしいが、ネット上には一方が頓野の鳥野神社奥宮という記述もある。修験の歴史がかなり古く、詳細は分からない。
なお上記図郭中、石灰岩が切られる前の香春岳一ノ岳に 491.8 m の三角点がある (現在は約 250 m ほど)。平尾台のカルスト台地もまだ地形が改変されていない。
筑豊地方は旧産炭地ゆえ少々ヤンチャな所もあるが、井上陽水は糸田の育ち、バイきんぐ小峠英二が大任、IKKOが方城、バカリズムが田川など、キャラ強めの人を輩出しているエリア。
実は田川あたりようと知らん。京都郡とか築上郡げないっちょん分からんばい。
こんなメールが届いた
Google さんにはすまないが、もぅオッサンはこういうものに囚われることはないんだよ