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昭和新山の古い地図と空中写真を比較

公開: 2023年11月24日
更新: 2023年11月24日

北海道壮瞥町の昭和新山で溶岩ドームの一部が崩れたという報道が9月にあった。
風雨にさらされたり隆起や地震などで崩壊や崩落を起こし姿を変えていくのは自然の常態の一部だから、あたりまえといえばあたりまえ。
以下、覚え書き。

戦時中の空撮

次に国土地理院の地図空中写真閲覧サービスから 91931-C1-27 をトリミングした。撮影は陸軍、ただし撮影年月日が明記されていない。
内閣府防災情報のページ によると水蒸気爆発が始まったのが1944年6月23日。7月2日、3日にも爆発して多量の噴石、火山灰を放出するなど約4ヵ月の間に大きな噴火だけで17回、7力所の火口をつくったとのことだが

結構な量の火山灰が積もっているように見える。1944年7月11日に洞爺湖へ向け火砕サージが発生したということだが、この空中写真からはなんとも判断がむずかしい。サージ発生前だろうか?
隆起により国鉄の胆振線はレールを東側に移動させざるを得なかったようだ。

次は、本多彪「1944年~1945年の有珠山のふもとにおける地表および地下水の変化」『驗震時報』第15卷(3・4), 気象庁 (PDF, 1951-09-10出版) から

驗震時報から

著者は当時の中央気象台地震課のひと。ミマツダイヤグラムを読むほうが早いか。

戦時中の地図

参謀本部5万図の虻田、昭和19 (1944) 年部分修正 Stanford Digital Repository から一部、昭和新山の活動前だろう

5万図虻田から

見づらいが長流川右岸に縦書きで「フカバ」の注記がある。孵化場。鉱泉記号の下。当該火山活動により消滅。
昭和新山ができたところはもともと麦畑だったようだが、けっして平坦ではなく起伏のある丘陵だったことがうかがえる。

現在まで

その後60年代、70年代、現在を比較。西隣の有珠山も含めいろいろ変化しているが、問題は垂直方向の変化が分かりにくいこと。昭和新山は当初の溶岩ドーム山頂が海抜 406.9 m に達したとのことだが、現在の地形図の標高点は 398 m になっている。
幾度も活動している有珠、近年では1977年から噴火と地震と地殻変動が1982年まで続き、2000年にも噴火している。代表的な火口など

このエリアに限らず1974年~78年の地理院タイルは少し歪みとズレがある。
温泉もたくさんあるが、少し東にある登別 (90度前後) に比べると洞爺湖温泉は低温 (40~70度) みたい。活発だから熱源も高いというわけでもないらしい。よく分からんが。

今後も大なり小なりイベントが起こるのだろうが、そのたびに道を切り拓き観光資源とするのだから人間とはたくましいものだ。
伊達市と壮瞥町の境界が未確定なのは、火山が絡む複雑な事情があるのだろう。
以上、2018年3月に書いた「有珠山と昭和新山の戦前の地形図」を加筆修正した。覚え書きお仕舞い。

* 私は javascript でコードを書きマップを作るのが楽しいだけ。地理とか火山がとくに好きなわけではなく、節操がないだけ。

余談

秋なのでブラームス。交響曲第3番といえば第3楽章のいわゆる「ブラームスはお好き」が有名だが、私はその前の第2楽章を好む。
素朴なハ長調、一聴すると淡々として起伏に乏しいアンダンテなのだけれども、次の箇所

ホルンを受けて弦楽が奏でる旋律が美しい。全休止を待たず被せてくる。
クライバーとウィーンフィルによる交響曲第4番 (グラモフォン盤) のライナーノーツで黒田恭一氏は第2楽章について次のように書いている

まさにこの楽章が終ろうとする直前、106小節からティンパニのもたらすロ音の上で、クラリネットとオーボエが束の間の歌をうたう。ききてはそこで雲間に青い空をみたような気持になるにちがいない

これは第3番第2楽章でも同じかな、と思う。上掲の場面も、曇間から光が射す感じで優しい (しかしまた雲に覆われる)。教会音楽の救いの文法みたいな。またブラームスは管楽器にソロで歌わせるのが巧妙だとも思う。
ただし、この交響曲第3番は終楽章で体力を奪われるというか、疲労するフシもある。私が実際に持っているのはベームとVPOのグラモフォン盤、上記の部分の美しさに気づくのに30年以上かかった。

……などと書きつつ、私は節操がないので車内では米津玄師や King Gnu を聴いている。

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