山梨県大月市と甲州市の間にある笹子の山塊は、東京と甲信の往来にあたり最大の壁。むかしから交通の要衝でトンネルがたくさんある。
その尾根は分水界で、大月市側が相模川水系の笹子川、甲州市側は富士川水系の日川の流域
現在の下り線は1902 (明治35) 年竣工、全長 4,656 m、幅員 4.58 m、高さ 4.52 m。開通当時は日本最長、次は大月側坑口
伊藤博文が揮毫した扁額「因地利」は「地の利に因る」といった意味らしい。甲斐大和の西坑口方には山縣有朋による「代天工」の扁額があるとのこと
隣の上り線専用トンネルは1966 (昭和41) 年に複線化に伴い新設され、その名は新笹子トンネル (全長 4,670 m)。
1957 (昭和32) 年竣工、全長 2,953 m、幅員 7.5 m、有効高 4.5 m。開通当時は関門道路トンネルに次ぎ日本で2番目に長かった有料道路。
1971 (昭和46) 年4月、償還完了により無料開放され国道20号に指定
しかし今となっては規格が古く高さ 3.9 m を超える車両は通行できず老朽化もあり、すぐ隣に新しいトンネルが事業中。
次は国交省 甲府河川国道事務所による (pdf)
実際に運転したら前を自転車が疾走していて、対向車が来る間は抜くに抜けなかった。
2024年10月13日現在、大月側の施工現場は次のようなかんじ
上記の新笹子トンネルが無料化で国道20号に指定されたことで県道212号日影笹子線へ格下げとなった旧道。1938 (昭和13) 年竣工、全長 239 m、幅員 3.0 m、高さ 3.3 m (Wikipedia)。海抜は 1,050 m 弱、鞍部の直下を谷線で結ぶハイリスクなルート
登録有形文化財。大月市側は装飾が派手だが、次の甲州市側は質素
ポータルも内部もどうやら二重に巻いて履工してある。私の車は5ナンバーで全幅 1.695 m だが、通過すると幅員 3.0 m には満たないと思った (両サイド合わせ 1.3 m もの余裕はない)。近年の補修で内径は小さくなったのだろう。
※『本邦道路隧道輯覧』(1941 (昭和16) 年) では有効幅員 4.60 m と書かれているが、これは明らかに誤りだ。
路面は定石通りの拝み勾配
※追記、2008年に PCL 工法で補修されていた (参照)。
中央自動車道のトンネルは1975 (昭和50) 年竣工、全長 4,784 m (上り線)、4,717 m (下り線)、車道幅員 8.5 m。
その上り線トンネルで2012年12月に天井板の崩落事故が発生した。社会インフラの老朽化がクローズアップされたように覚えている。
当時の記事「天井板トンネル49か所の地図」(2012年12月3日) に残しているが、今回は走ってない。
古い中央道の中でもっとも工事が遅れたのが世田谷区烏山だったということを、最近になって土木学会誌 第59巻第11号「中央自動車道烏山工事 ーその工事再開への道程ー」で知った。騒音対策でシェルターが被せてある。
今回、古い中央道と新しい圏央道を初めて接続連続して走ったが、線形や勾配や車線幅など時代と規格の違いをもろに感じた。
中央道は危険で運転に神経を使うが、圏央道は安全で快適。
甲州市の駒飼宿にある松尾芭蕉「秣負ふ 人を栞の 夏野哉」句碑。明治期の大出水で流失し、のち再建されたいしぶみとのこと
栃木県は那須野・黒羽の玉藻稲荷神社に同じ句の碑があるようだが、そちらの「しおり」は「栞」ではなく「枝折」らしい。
秣 (まぐさ) は馬のエサだから枝折のほうが脈絡が合うと思うが、道の目印としての栞も意味が符合する。どちらにしても佳い句だなぁ。
続けて「それにつけても カネの欲しさよ」を加えると山賊っぽさをかもしだす (加えるな)
私がそんな阿呆なことを考えていたら妻氏が「アケビだよ」と言った
視野と視点はやはり人それぞれ違いがある。私の視界にはまったく入っていなかった。
次の「し」裏から見たら「J」だがクロソイド曲線の記念碑らしい。群馬・三国峠の国道17号改修と同時期なのかもしれない
甲州街道の難所ゆえか大月も甲州も馬頭観世音が散在。昔は多くの馬が旅の途上で斃れたのだろう。
笹子駅近くの「みどりや」で笹子餅 (製造日の翌日が消費期限という正しいヨモギ餅) を買って帰った。