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さいたま市周辺の今昔

公開日: 2025年1月20日

明治39年測図昭和4年鉄道補入陸地測量部5万図「大宮」Stanford Digital Repository から。
この当時は武州鉄道が蓮田から武州大門まで、また大宮から川越電気鉄道が伸びているが、今はない。
荒川改修敷地の注記もあるが、これが現在の荒川本流になっている。その東 (左岸) には直線的な土圍の符号で荒川土手と横堤

昭和初期、入間川が荒川に合流していた地点は現在の川越市・上尾市・川島町3市町の境界だったこともわかる。現在は 4.3 km ほど下流まで先延ばしで合流させている。
また古い図郭の中には領家の地名が5つあるが地頭の地名はひとつだけでアンバランス。かならず対になるわけでもないだろうが。
芝川に見沼中悪水との括弧書き、Wikipedia によると「悪水は汚い水の意ではなく農業用水でない水という意」とのこと

寛永年間 (1624~1644) 年に伊奈忠治が八丁堤を築き見沼溜井 (溜め池) を造成。享保13 (1728) 年に井沢弥惣兵衛為永が堤を切って「見沼たんぼ」とし、利根川から見沼代用水 (みぬまだいようすい) を開削したとのこと。通船堀は国内最古の閘門式運河。先達の偉大な土木。
次は国土地理院「自分で作る色別標高図」で見るさいたま市

国土地理院「自分で作る色別標高図」から埼玉

八丁堤で堰き止められた見沼溜井はかなり大きな池だったのだろうと想像できる。疏水の東縁と西縁を追っても広いが 見沼代用水土地改良区 のサイトに詳しい。
また低位段丘 (下末吉面) と沖積低地もおよそ分かる。中山道は理にかなったルートをとったのだなぁとも思う。

見沼区と岩槻区の境に綾瀬川があるが、国土地理院「日本の典型地形について」によると元荒川構造帯の構造盆地とのこと。盆地に見えないが、盆地なのだろう。

同じ色設定で引いて見ると

国土地理院「自分で作る色別標高図」から関東平野

鴻巣市から川口市にかけて大宮台地が明瞭。関東平野はちっともフラットじゃなくて、河川に由来する凹凸が目立つものだなぁ。
荒川の西遷は1629年、伊奈忠治により熊谷市久下で元荒川が締め切られ和田吉野川へ瀬替え (国土交通省関東地整荒川上流河川事務所)

大宮駅の北東にある氷川神社は、東京埼玉近辺に約280社ある氷川神社の総本社なのだそうだ。
粕壁町はのちに春日部町、1954年に春日部市となったとのこと。
現在「ふじみ野市」と「富士見市」が隣接し「ふじみ野駅」は「富士見市」にあり、ちょっとややこしい。

古い地図一枚から、いろんな勉強ができる。現地を訪れ自分の目で見るのがもちろん最良だが。

marcador

福岡は九州だから暖かいんでしょ? と思っている関東の人は多いのだが、福岡は大局的に見れば北陸から山陰と同じく日本海側だ。
冬は曇天が続き玄界灘から吹きすさぶ湿った寒風が流れ込み、ひと山越える筑豊の盆地はとくに寒い。昔は屋外スケートリンクがあったほどで、20センチくらい積雪することもめずらしくなかった。
その点、冬季の関東南部は晴天が多くドライな空気なので個人的にはありがたい。

産総研地質調査総合センターの GSJ 地質ニュース Vol.14 No.1 をざっと見たら最後にイカ刺身の写真が載っていて、実に良かった。