5万分の1「彦根西部」(明治26年測図昭和7年鉄道補入)の下のほう及び「近江八幡」(明治25年測図昭和3年部分修正)の上のほう、各々一部を載せて見る。
現代のよそ者からすると、よくもまあ埋めに埋めたなという感じ。営農まで相当の労苦があったらしい。
(だいなかのこ)、小中の湖( (べんてんないこ)と (いばないこ))あわせて 1,450 ha ということなので、結構な規模(諏訪湖より広い)。
織田信長は、 から至近に湖水を眺めていたのだな。また、水の「 」という注記は初めて見た気がする。内湖には、いくつか港があったとのこと。
一方で対岸、安曇川の三角州あたりは地形的に大きな変化が(意外と)ない。
参考文献:琵琶湖の水を余呉湖に!滋賀県国営湖北農業水利事業(水土の礎)、びわ湖の干拓(東近江市)、弁天内湖を中心とした小中の湖(滋賀県立大学)
きのう夕方、近所の子どもたちの遊んでいる声が、笑い声が、聞こえた。すごく久しぶりに聞こえた。
結構なことだ。子どもの笑い声が聞こえないような社会は正常じゃない。