安曇川の河口付近

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公開日:2020-06-07 更新日:2020-06-07

前回の記事「近江八幡付近」の対岸。

湖西の三角州

2万5千分の1「今津」と「大溝」(いずれも大正9年測図昭和7年鉄道補入)の西側を載せて見る。旧饗庭村や新儀村など、安曇川の三角州。
少し前にNHKの番組で、針江の生水の郷(しょうずのさと)を紹介していた。湧水の豊かなところ。

1886(明治19)年3月にはすでに陸軍が饗庭野の台地を買収している。右岸の泰山寺野台地とも、陰影起伏図で見るときれい。
江若鐡道はのちに廃止、国鉄が買収し今は湖西線。70年代の航空写真に一部の痕跡が残っている。

安曇川の朽木谷(花折断層)では1662年、琵琶湖西岸地震による大災害が起きた(町居崩れによる天然ダムの形成と決壊により約560人が犠牲)。朽木荒川の狭窄部を過ぎると、天井川になっていく。高島市のハザードマップによると、安曇川の三角州は浸水リスクが非常に高いもよう。

上流で石田川を争奪した百瀬川は扇状地を形成した(涸れ)天井川だが、現在は流路を改められ遊水地を経て生来川に注ぐらしい(事業が未完なのか、地形図に反映されていない)。天井川の下を鉄路や道路がトンネルで通っている(いた)のは長野の蜂ヶ沢などなど、全国に珍しくない。

参考文献:安曇川下流域の河川地形と針江の「生水」(京都大学自然地理研究会)、饗庭野台地の変形について(東郷正美)、寛文二年(1662)の近江・若狭地震と町居崩れ(井上公夫、いさぼうネット『歴史的大規模土砂災害地点を歩く』)、高島市総合防災マップ

余談

若いころ琵琶湖西岸のどこかで泳いだ。だが、それが何処だったのか、まったく思い出せない。