前の記事で阿賀川の流域を示したが、現在の西会津町周辺を古い地図で読む。
陸地測量部5万図「野澤」大正2年測図昭和6年要部修正、Stanford Digital Repository。
阿賀川を塞いだ堰止湖(牛海、海抜 165~170 m?)は『西会津町史』によると1169年の地震によるらしい。 のそば、銚子ノ口の狭窄部分を閉塞。
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には、湖を行き交う船着き場があったとされる。
前の記事で書いた「山崎新湖」が出来たり鶴ヶ城天守閣が傾いたりした1611年の慶長地震により、飯谷山の西面でも が発生、100名を超える人々が亡くなった。
は旧越後街道の難所だったようだが、この地図では旧洞門が描かれている。明治期の手掘りで後に崩落したらしい。
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の註記があるが、いずれも現在の地形図には記載されていない。だが正中鉱泉は今も湧出しているといい、70年代画像で見ると周囲はアバランチシュートなのか特徴的な山肌。四岐鉱泉は1956年の大雨で湯宿が流されたとのこと。
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県境を越えた新潟側には、現存しない廃村がいくつかある。
飯豊山の登山口である弥平四郎と徳沢を結んでいたトロッコ林用軌道が記載されている。
この当時の会津線(現在の只見線)は柳津まで開通している。全通は1971(昭和46)年のこと。
1997(平成9)年に全線開通した磐越自動車道、この区間は地すべり地形を避けてルートが取られていることに気づく。
越後街道が通り、三大宿場のひとつ野沢があり、阿賀川の舟運もあり、金山やオパール鉱山もあるなど、この地域は文化的に豊かだったのだろうと思う。そして、ひとの暮らしと民俗を伝えていこうとしている西会津町の姿勢も、素晴らしいと思う。
図郭の外にある情報もまた、味わい深い。
参考=にしあいづ物語100選(西会津町広報)ほか
余談。長年にわたり当サイトにとっても招かれざる宜しくない常連客であったウ国(.ua)の人々、半年くらい前から足跡が途絶えている。
現在の国際情勢を見ると、ネットで戯れている場合ではないくらい緊迫しているのかしら?
持続可能な飲酒目標、Sustainable Drunkenness Goals: SDGs を掲げている。具体的には、前年並み 365 日年中無休の飲酒喫煙を実施することにより健康の増進を図るという骨太の方針(誰からも褒め称えられることはない)。