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クロソイドと四川と雑感

公開日: 2022年9月9日

1)群馬と新潟の県境に国道17号「新三国トンネル」が3月開通したが、群馬側にクロソイド曲線記念碑がある。昭和28年に日本で初めてこの緩和曲線が用いられたところ。
『土木学会誌』第57巻第3号(昭和47(1972)年3月)に「クロソイド線形トンネルの先進側壁導坑の曲線設置」(中村俊六)があり、国道246号の湯舟トンネル(静岡県小山町、L = 403m)が挙げられている。上記の線形技術を道路トンネルに敷衍した初期のものらしい。

土木学会誌第57巻第3号から

この区間はたいてい東名高速に乗るので当該246裾野バイパスを私は走ったことがない。走っても意識しないとクロソイド曲線だとは気づかないと思う。
現代の新しい道路はクロソイド曲線が多用されていて運転も快適だが、不快なハンドル操作を強いられるのは昔ながらの古い道路だともいえる。昭和から平成を経て令和の現在に至るまで交通事故が激減したのは、モラルの向上だけでなく科学的な土木技術の向上のおかげ、という側面も大いにあると思う。
クロソイド曲線については「コラム クロソイドの雑学 - 構造システム・グループ」を参照してください。

POI  POI

2)四川省の POI は3,000m級の峻険な山々に囲まれ植生に乏しい峡谷地帯に集落が点在する地域。同じ峻険でもロッキーやパタゴニアの風景とは異質

読売新聞オンラインから

私が訪れたのは1991年1月。瀘定から磨西を経て海螺溝の氷河に行ったが、今も自然環境に大きな変化はなかろうと思う。
IRIS が出した次の画像が磨西。ミニヤコンカへの登山口のひとつだが昔は寒村で、私はここから馬に乗った

IRIS によるスライド

いわゆるカムと呼ばれるチベット族の領域なので(いろんな意味で)スリル満点。温暖化で氷河もスリル満点ではなかろうか。
次は当時の二郎山峠(標高約3000m、雲の向こうに7000m級、道路もスリル満点でございました)

スリル満点の峠道

3)バブル期に私は松本市民だったが、当時の夏の松本駅は傲岸不遜な山ヤで満ち溢れていた(もちろん良識的な人もいたが)。
山ヤの横柄な振る舞いを、私は苦々しく思っていた。松本平の地域住民には「山ヤ」が嫌いな人が少なくないことも知った。
どんな趣味の領域でも「マニア」というのは傍から見たら気味悪いものだということにも気づいた。
そのうち私も登山しなくなった(また昔話をしてしまった)

4)『土木学会誌』第57巻第10号(昭和47(1972)年9月)「マンスリー・トピックス」から

レジャーという概念はラテン民族において発達したものであり,その根源としては,ラテン語の Otium「何もしないこと」・「生きること」と,ギリシャ語の schole「文化・芸術などの精神活動」であるといわれているように,本来自己充足のための手段としてとらえられている。一方,日本においてレジャーと同義語的に使われているレクリエーションは,アングロサクソン民族において発達したものであり,労働が社会活動の中心となった産業社会において,労働の再生産機能の一つとしてとらえられている。
...近代産業社会の発展により,自由時間も経済のメカニズムの中に組み入れられ,所得の消費形態としてとらえられようとしている

Leisure はともかく Recreation という言葉はあまり聞かなくなった。しかしその思想は「経済を回す」などというフレーズで活きているのだろう。私はラテン寄りなので「何もしない」に1票。

5)二拍子のせいか差し足のせいか分からないが、YouTube で阿波踊りを見ると中毒性がある(うずき連や娯茶平など)。
ある意味フォルクローレに近いと思うが、日本ならではの極めて質素シンプルなリズムと美しさに引き込まれる。

一かけ二かけ三かけて
しかけた踊りはやめられぬ
五かけ六かけ七かけて
やっぱり踊りはやめられぬ

ノスタルジーかもしれないけれど、あらためてニッポンの佳さは地方にこそあるのだなと思う。

6)博多名物「二○加煎餅」(にわかせんぺい)の包装紙には伝統的かつ代表的な博多の方言が書いてある

二○加煎餅

「ぐらぐらこいた」や「ふうたんぬりぃ」はともかく、筑豊の私には三分の一くらいが分からん。ニュアンスも少し違う。福岡市出身でも若い人は、たとえば今田美桜や橋本環奈が、これらをすべて喋るとは思えない。

7)先週、自宅に横浜市ハザードマップが配布された。しかし私は行政が発する情報を鵜呑みにしないのであった。

8)前を走るトラックに「宮内庁御用無し」というステッカーが貼ってあった。こういうユーモアが好き。