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ミニヤコンカと海螺溝、二郎山

公開: 2020年08月25日, 更新: 2023年04月11日 by ちずぞう

昔話。
私は盆地の生まれ育ちなので、見知らぬ町へ行くということは峠を越えるということだった。
峠を越えて広がる日常から離れた景色というのは、なんとも形容しがたい良さがあった。いくつも峠を越えた。

最近、郷里の見坂峠にトンネルができる予定との話を聞いて、ここもか、と思った。
オートバイで越えた懐かしい記憶がある信州の安房峠や権兵衛峠も、トンネルが出来た。

私の中で最も過酷な峠だったのが、中国・四川省の二郎山。成都(漢の生活圏)と旧チベットのカム地方を隔てるカベで、交通の難所だった。
1991年1月、ミニヤコンカ(貢嗄山、7,556m)の海螺溝氷河へ行くために、香港人のグループに紛れ込んで(当時はまだ外国人旅行者に解放されていなかった)、マイクロバスに乗った。
とんでもない悪路で、途中の廃屋で厳寒の夜を過ごし、翌日どうにか濾定の町に辿り着いた。
ここも、近年トンネルが出来てアクセスが容易になったらしい。

20年前の二郎山(標高約3,000m)。同行の香港人たちは雪を見たことがなかったのだろう、喜んでいた。峠を越え遥か雲の上にミニヤコンカの頂が見えたとき大いに感嘆したのを憶えている。

ErRangShan-2

康定で香港人グループと別れ、地元のバスで磨西まで移動、この村から馬に乗り、海螺溝1号営地からは徒歩で登山。
3号営地(下の写真)は当時、質素な木造の小屋だった。今ではロープウェイもあるらしい(写真の山は主峰ではなく、6368mの金銀山)。1982年、手前の氷河で松田宏也氏が救助された。

Minya-Konka

泊めてもらったこの小屋で「日本人旅行者が訪れたことはあるか」と尋ねたら「朝日新聞の記者、ほかに留学生が来たことがある」と聞いた。記事となった朝日の日曜版も見せてもらった(シャクナゲの記事だった)。

不思議なのは、帰路の記憶がまったくないことだ。どうやって成都まで戻ったのか、憶えていない。
当時22歳で若かったとはいえ、おそらく疲労困憊していたのだろう(その後、雲南の西双版納で寝込んだ)。

トンネルで旅行が速く楽になるのはいいけれど、峠の面白みがなくなるのは、いささか寂しい感じもある。

【2011年11月24日の記事を再掲】

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