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霧多布のトンボロ

公開日: 2025年12月7日

国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスから、1947 (昭和22) 年9月20日に撮影された USA, M509, 67 を見ると北海道東部の霧多布は砂州で陸と繋がった半島となっている

地図・空中写真閲覧サービスからUSA,M509,67

大正11年測図5万図「霧多布」Stanford Digital Repository から、嶮暮帰島もトンボロ

砂州は1960年5月に起きたチリ地震による津波で破断され消失、古い地図に記載されている霧多布橋も流失。翌年に霧多布大橋を架橋、霧多布は現在も島になったままだが「◎◎島」などと名がついているわけでない。もともとトンボロで繋がったり切れたりを繰り返していたのだろう。同時に、地形を改変するくらいのエネルギーを津波は備えているということの証左でもあるということか。
浜中町役場は今もこの「島」にある (高台へ移動している)。赤玉の井戸という良質な湧水があってその地区を「水取場」と呼んだらしいが、これが町の中心たる大きな理由だったのだろうか?
なお漫画家モンキー・パンチの出身地でもあるそうだ。

被害の状況は、北海道地区自然災害科学資料センター室の『センター報告』Vol. 6 (1991年3月) で「1960年チリー地震津波」(酒井良男) に詳しくまとめられているが、その中には「津波の往復ビンタを受けた処」などと書かれている (言い得て妙)。
また 国土地理院の地形調査報告 (PDF) によると、津波は砂堆を越えて海岸線から湿原の中を約 2 km 遡上し浸水したとある。

霧多布湿原センター によると、霧多布湿原の泥炭層は「形成の過程で約9回の地震による大津波と約6回の火山噴火による火山灰を浴びている」とある。道東の太平洋岸は大きな地震が繰り返し発生するし阿寒や摩周の火山も近いし、樽前から飛来したものもあるらしい。隆起と沈降も繰り返したようだ (専門的な論稿は産総研にたくさんある)。

自然災害伝承碑データを見ると、チリからの津波によるいしぶみは全国に13カ所。USGS 米国地質調査所による震源も示してある

日本に返還される前だった沖縄にも被害が出ている。53名の犠牲者が出た大船渡市、41名の犠牲者が出た志津川町 (現在は南三陸町) にも碑はあるはずだが、2025年現在で地理院地図に収録されていない。2011年に流失した可能性もあるだろうか?
なお自然災害伝承碑の一覧は「日本の主要な分水嶺、主要河川の分水界を描くマップ」に収録している。

チリのメディアから、65年前に起きたこの世界最大規模 (Mw 9.5) の地震について

この Megavisión の放送ではチリ国内で約2,000人、日本で138人、ハワイで61人、フィリピンで32人が亡くなったと言っている。発生は現地時間1960年5月22日15時11分とも言っている。
かつてバルディビアやプエルトモンの街を訪れたが、地震や津波の痕跡などまったく気づかなかった。たかが3年暮らした程度では、その国のことを知ったことにならない。
日本国内の被害については 内閣府の報告書 および 気象庁技術報告第8号 にくわしい。

机上での学習にとどめず実際に霧多布を訪れて見るのが最善なのは言うまでもないが、厳寒期の斜里で流氷を見たときあまりの寒さに辟易したことがあるので、腰が引ける。

余談。ルパン三世は70年代の第1シリーズと第2シリーズをテレビアニメで見ていたが、チャーリー・コーセイが歌うエンディングテーマの終わりに入るバイクのエンジン音が格好よかった。