陸地測量部5万図「開聞嶽」明治34年測図昭和7年要部修正、Stanford Digital Repository から海域を除く約3分の2。
には海門山の別称が付してある。
知林ヶ島のトンボロに近いところ「 」という集落が記載されているが、現存しない。戦中の昭和18年から指宿海軍航空隊基地が運用され特攻隊の出撃基地にもなったとのことで、集落まるごと収用され離散したのだろうか?
鹿児島の軍事施設跡といえば知覧が有名だけれど、私はこちらを知らなかった。
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火山だらけで特徴的な地形が多く「採礦地」の符号が池田湖の周辺にいくつも見られる(現在は廃止されている)。
礦泉記号の位置は現在と少し異なる。戦後にボーリングで開発されたものも多いのだろう(鰻温泉には惹かれる)。
橋牟礼川遺跡の西側(鰻池の東)や池田湖の東畔に、地すべり地形がある。
また、この戦前の時代に道路が舗装されていたとは考えにくいが、集落を結ぶネットワークは密にできている印象。
また九州南部らしく「土圍」が多い。難読地名も多いのでやたらフリガナが付されている。鹿児島で「迫」というと谷底平野を指すようだが、指宿西方に「後迫」が、頴娃に「干迫」が、池田湖北岸に「大迫」がある。
指宿枕崎線の喜入~指宿間が開通したのは1934(昭和9)年、指宿~山川が1936(昭和11)年、山川~西頴娃が1960(昭和35)年。枕崎まで延びたのは1963(昭和38)年とのこと。
参考=かだいおうちほか
地図は事実に即した図だが、実体ではない。
たとえばフィールドワークを「主」とする領域では、地図は「従」に過ぎないと思う。フィールドが必須となれば、おのずと地域は限られてくる。世界を拡げるのは難しくなり特定の地域に限定され折衷せざるを得なくなる。
他方、地図を「主」とする場合、実地を目で見て確認し「従」とするのがもちろんベストだろうが、そうするとキリがない。全球的に実地で見るのは不可能、というジレンマがある(組織ではなく個人であればなおさら、行動半径に限界がある)。だから地図を読んで実体はどうなのか? という想像力が常に要求される。私は桜島に行ったことがあるが指宿はない。
つまるところ憶測で断定的な書き込みは控えるべきだという着地点に落ちざるを得ない。人文的な地図はまた違う。