戦前の硫黄島

Home » Articles » 戦前の硫黄島, published: 2019-06-09 (updated: 2019-06-19)

小笠原諸島の硫黄島(いおうとう)。昭和11(1936)年5万分の1地形図「硫黄島」(Stanford Digital Repository)の一部をレイヤーに重ねる。昭和15(1940)年4月に村制施行、人口は1,051人だったとのこと。その後、戦争で昭和19(1944)年、住民は強制疎開を余儀なくされた。いま一般人が旅行することは不可。

透過:  

※ふだんは先ず三角点を目途としてレイヤーを合わせるのだが、硫黄島は隆起や浸食のため(三角点も戦前と同一とは考えにくいので)合わせる照準がない。加えて島の輪郭も違いすぎる。とりあえず擂鉢山に合わせた。沈船群がシームレス画像で確認できる。

1911年の測量後の98年間で元山中央部は15m隆起した。島内の隆起速度は均一ではなく、地点によってゆらぎによる変動を伴いながら隆起が続いている(中略)島西方にある釜岩はかつては一つの独立した島で陸繋島を形成していたが、1950年代から1960年代の急激な隆起活動により現在は硫黄島と地続きとなっている(Wikipedia

野付半島も相当な変わりようだけれど、こちらも随分と変形している。大きな隆起量のため外洋の荒波による浸食速度を上回って面積は拡大を続け、現在は父島を抜き小笠原諸島で最大の島になっている。釜岩、監獄岩、東側沖の東岩などの岩礁群はカルデラ壁、元山は中央火口丘、摺鉢山は側火山に相当するとのこと。

元山集落には役場、神社や学校などあり、「東西南北」の地籍があった。これだけ見れば、ありがちな離島にしか見えない。質素な日々の営みがあったものと思う。