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帆船エスメラルダ15回目の来日

公開: 2016年08月27日, 更新: 2023年04月11日 by ちずぞう

白い貴婦人(ダマ・ブランカ、Dama Blanca)とも呼称される4檣のチリ海軍練習帆船、Buque Escuela Esmeralda。スペイン製で就役は1954年。チリ軍艦で「エスメラルダ」の名を冠するのは6代目。
明治時代、日露戦争を控えた日本は、チリから当時のエスメラルダ(3代目)を譲り受け「和泉」と名を変え、これは日本海海戦で活躍した。司馬遼太郎の名著『坂の上の雲』などにも出てくる。

今回の第61回訓練航海は、バルパライソを6月12日に出発、イースター島とホノルルを経て一昨日26日に東京に到着、30日出港という日程になっている。
あとは釜山、上海、バリ島、シドニー、オークランドとタヒチを巡り、2017年1月8日チリに帰国する予定。

今回の訪日は9年ぶり15回目。東京・晴海埠頭、海自のホストシップは護衛艦「まきなみ」
チリ海軍練習帆船エスメラルダ

艦首はアンデスの王者コンドル
エスメラルダ艦首

船尾はエレガント
エスメラルダ船尾

2002年に(国際観艦式で)横浜に寄港したとき、私は初めて乗船した。
FTA締結交渉の機運が高まっていた2004年6月には、晴海に来た。このときはサンティアゴの『日智商工会議所会報』にレポートを寄稿した。
2007年9月にも来日したが、このときは機会がなかった。

デッキ(甲板)船尾側にあるティンブレ。12年前、これを背に在日チリ大使や艦長のスピーチがあった
エスメラルダ甲板

チリ国のエンブレム「Por la Razón o la Fuerza」。道理が通らねば力ずくで、といったところ
エスメラルダの国章

「Vencer o Morir」、勝利か殉職か。チリの英雄アルトゥーロ・プラット(Arturo Prat)提督の言
アルトゥーロ・プラットのことば

船章。なぜか過去には気づかなかった
エスメラルダ船章

私がチリに住んでいた1993年~96年当時、チリにおける日本のプレゼンスは高かった。
だが徐々に韓国と中国の台頭に押され、比例してエスメラルダも来日しなくなった。
当然ながら、こうした艦船は外交が重要な任務である。その時々の情勢に因るので、しようがない。

しかし日本チリ間には「和泉」譲渡の件のみならず、1997年に「修好100周年」を記念したような長い友好関係がある
日本チリ修好100周年記念切手

帆船エスメラルダの初来日は1955年6月(第1回訓練航海で横浜に寄港)。このとき皇太子だった今上天皇陛下が、予告なく私的にエスメラルダを御訪問されたことが、次の文書に記されている。

HISTORICA VISITA DEL B.E. ESMERALDA A JAPON, 1955 (Patricio Villalobos L.)

Inesperadamente, y en forma privada, el Príncipe Akihito, actual Emperador de Japón, visitó el buque.

ひとりの士官候補生に訊いたところ、帆は外洋でなければ張ることができないそうだ。

チリでも若い世代の気質が変わってきたのだろうが、惜しむらくは、衆人環視のなかスマホを弄るなどの弛緩が士官候補生の中に見られたことだ。どうしたチリ海軍?

※2017年2月追記、あんのじょう盗撮スキャンダル発生。14名の女性士官候補生・海兵が航海中の船内で盗撮被害とのこと。やっぱりチリ海軍は弛んでいた。

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