明治42年測図昭和5年修正5万分の1地形図陸地測量部「鶴来」、明治43年測図昭和5年修正内務省「白峯」および参謀本部「経ヶ岳」を重ねて載せる。
この当時すでに白山水力(吉野谷)発電所は稼働している。1926(大正15)年5月の運転開始、歴史が古い。
また尾小屋鉄道や金名鉄道の記載がある。鉱山もあった。旧尾小屋隧道、旧阿手隧道なども書き込まれておる(今は崩壊)。
は多目的(洪水調節・農地防災、上水道用水、工業用水道用水、発電)ロックフィル。その完成によって五味島、釜谷、深瀬や桑島といった集落が水没。
も多目的(洪水調節・農地防災、灌漑・特定(新規)灌漑用水、発電)重力式コンクリートダム。これができて小原集落が水没、くわえて
も「津江」と名を変えたのち廃村。
手取川は長くないが、水源から河口までの平均河床勾配が27分の1と急峻。鶴来で西へ向きを変え、典型的な扇状地をつくる。
が古い地図できれい。デ・レーケの指導で建設された大水門と給水口をもつ「七ヶ用水」は1903(明治36)年竣工。
は、もともと切り立った谷だったらしい。1934(昭和9)年7月の大雨に伴う土石流で、湯の谷にあった白山温泉や下流の赤岩集落と共に埋もれ壊滅、河床が高まったとのこと。下流の
(4,839 t)も、このとき宮谷川から土石流で運ばれたもの。
地すべり地形が非常に多く、手取川の源流部は砂防工事で大変なところだが、 は今も地すべりが進行していて飛島建設が施工にあたっている。最近では2015年5月に尾添川上流の
で地すべりが起きた。
参照=「白山の自然誌18 手取川の地形」(石川県白山自然保護センター、1998)ほか