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昭和初期の三宅島の地形図

公開: 2017年08月31日, 更新: 2023年04月11日 by ちずぞう

旧陸地測量部の5万分の1地形図「三宅島西部」と「三宅島東部」(大正元年、昭和10年修正)を各々一部載せる(Stanford Digital Repository より)。

旧陸地測量部の5万分の1地形図三宅島

この古い地図のあと、三宅島では次のとおり噴火した(気象庁による)。

現行の地形図で最高地点は775mの標高点だが、古い地図では814.5mの三角点「伊豆」があることを確認できる(しかし最高点は別だったようだ)。
標高点462の位置が、旧三角点「二男山」だろうか。
島の輪郭であからさまに異なっているのは、赤場暁。

2000年の噴火後、南風に乗ったのだろう、横浜でも度々硫黄の匂いがしていた。最近は、まったくない。
とうぶんの間は小康してもらいたいものだ。

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