戦後の高度成長期、電力供給の必要が叫ばれていたころ、実現することなくボツとなったダム計画案を、ふたつ。
尾瀬の湿原を水没させようとした「尾瀬原ダム」計画と、群馬県沼田市の盆地を水瓶にしようとした「沼田ダム」計画。それぞれ等高線をおよそトレースしてみた。
Wiki によると、只見川が尾瀬ヶ原より流出する地点に堤高85.0mのロックフィルダムとして計画。仮に完成すれば奥只見ダム・田子倉ダムに次いで只見川では3番目の規模だった。
だが自然保護、流域都県の水利権で利害対立などで反対意見が噴出、1966年以降計画は凍結。東京電力も最終的にダム計画を完全に断念、1996年には尾瀬沼の水利権を放棄。
産業計画会議レコメンデーション(勧告)というのがあって、そこに『第8次勧告「東京の水は利根川から~8億トンを貯水する沼田ダムを建設せよ~」』(1959)とある。
みなかみ町から沼田市までの利根川流域約13kmにわたり、ひとつのクビレを堰き止めるだけで湖の底に沈めようというのだから破天荒だが、当然ながら地元などの猛烈な反対に遭って計画は消えたとのこと。
現代人の我々が立てる企画書など足元にも及ばぬ壮大なスケール。絵空事ではなく本当に此岸性を証明しようとしていたところに、ロマンチシズムに似た野望がうかがえる。
尾瀬の南。建設中の八ッ場ダムとのカラミとキナ臭い大人の事情で中止された模様。これは、さほど古い話ではない。
徳島県・吉野川、島根県・江の川や新潟県・阿賀野川にも、そんな画餅に帰したプランがあったとのこと。
現在、建設中(計画中)のダムはこちら。また全国3000あまりのダム一覧マップも参照を。