2万5千分の1地形図「興津」と「駒越」(昭和15年第2回修正測図、参謀本部)を各々一部載せた。
現行の地形図と異なり「 」の注記はない。
東端の は日本初(1912(明治45)年設置)の鉄筋コンクリート造。
は、古い地図では「三穂神社」と記載されている。羽衣の松からここに至る参道は変わりがない。
三保半島は、 からの土砂が東向きの波に運ばれ、有度山を削りつつできた砂嘴。
その安倍川で砂防や砂利の採取が進み、こちらの海岸が侵食されているというのは一種のジレンマ。
なお興津に「 」と「
」の記載がある。
井上馨の別荘だった「長者荘」と、西園寺公望の別荘「坐漁荘」のこと。
余談。
国土地理院の地形図は我が国のデフォルトだが、中山間地域では案外と雑なところ(道路や橋梁の線形など)がある。
隧道や暗渠もまた、他の地図と相違があったりする。