東京都狛江市と川崎市多摩区の境界をなす多摩川。ここでは1974(昭和49)年9月1日、台風の影響により多摩川(左岸)の堤防が決壊している。
次の画像の出典:「悪夢のような多摩川堤防決壊」(狛江市HP)より
古い地形図(1万分の1「登戸」昭和12年, Stanford Digital Repository)
そして現在
左岸(北側)の狛江市猪方3丁目~駒井町3丁目あたりは、元々河道であったことが古い地図や戦後まもない頃の航空写真からも推測できる。
堤防と護岸工に守られているから安全であると過信する(中略)
自由蛇行流路を人工的に直線化しても......(川は)みずから元の蛇行流路に戻ろうとする傾向にあると考えられる
【鈴木隆介著『建設技術者のための地形図読図入門』(古今書院)】
宿河原堰堤の700~800m上流で多摩川は左に曲がるので、右岸(南側、小田急の橋梁の南詰付近)が攻撃部。
増水時には奔流がその反動で、平時は滑走部である堰堤周辺の左岸(北側)を攻撃する、という理屈でいいのだろうか?
すると、都市で「河川の本来の流路」はどうだったのかを認識するためには、古い地図を引っ張り出す必要がある。
過去のアーカイブは、やはり重要なのだろう。