平成の時代、地図上のエポックとして大きかったのは「大合併」だったと思う。1500以上もの市町村(の境界線)がなくなった。しかし、残っている線もまたある。
飛地について、千葉県の東金市と山武市のそれは複雑に入り組んでいるというのは知っていた。
行政区域のデータを整理していたら、山形県の新庄市と大蔵村のそれもまた組んず解れつ、曲線と、恣意的な直線との合戦模様があることに気づいた。最上川の舟運とは関係なさそうだし、河川の蛇行に由来する線形でもない。
新庄市のこの地域は、もともと最上郡八向村。
なお大蔵村は西隣の戸沢村との境界に未定部分もある。
ここには、合理性や行政効率などといった観念だけでは解決しえないもの、何かしらの歴史と理由があるのだろうと思う。きっと武士のように「一所に命を懸けた」結果なのだろう。
地図は、たんに物理的な描画作品ではなく、その背景に文化・歴史や政治などさまざまな経緯を包含している。その示唆するものを思慮するのもまた、奥の深さだと私は思っている。