古い5万分の1地形図「虻田」(参謀本部、昭和19年修正)の一部 Stanford Digital Repository。
有珠山東麓では太平洋戦争中の1943年(昭和18年)末から地震が続き、1944年(昭和19年)に入ると次第に地盤が隆起。6月23日に水蒸気爆発が発生。もとは標高100mあまりの台地だったところ、11月中旬になると火口から溶岩ドームが現れ、翌年9月まで成長を続け、標高は400mを超えた。これは と名付けられた。温泉マーク下に「フカバ」(サケ・マスの孵化場)という集落が読めるが、火山活動により壊滅。
1978年6月15日の噴火で (74~78年の地理院航空写真には写っているが)消滅、同9月12日の水蒸気爆発で巨大な大火口となった。1980年7月に
と命名。
2000年3月31日 でマグマ水蒸気爆発。翌日には
でも火口を形成。国道230号は通行不能となった。金比羅山火口からは熱水噴出により熱泥流が発生し洞爺湖温泉街まで流下、西山川に架かる2つの橋が流失。広い範囲で道路が損壊。
古い地図には、洞爺湖電気鉄道や国鉄胆振線が記されているが、もはや痕跡は無いようだ。
火山が活動すると、常に「火山噴火予知連絡会」が報道の主役となりがち。しかし「予知」の名を冠するゆえ、過剰に期待されているフシがなかろうか?