中国の記憶

Home » Articles » 中国の記憶(公開日:2020-02-24 更新日:2020-02-24)

鄧小平の時代というか、楊尚昆が主席の時代、1990年11月から翌91年2月にかけて私は中国を旅した。いわゆるバックパッカー。
当時の中国はまだ発展途上で人民服が多かったし、外国人旅行者に開放され訪れることができる都市は限られ、人民元ではなく兌換券(ワイホイ)を持たされていた(といってもヤミで交換するのだが)。

海南島から雲南だけ飛行機、他はすべて鉄道、船またはバスを使った。
雲南の田舎の店で瓶ビールを頼んだら栓抜きがない。開けてくれ、と言ったら若い店員の兄ちゃんが面倒くさそうにクチで(歯で)噛んでシュポッと開けやがった時にはアッパレと思ったものだが、要するに衛生観念が独特である。シシカバブで腹をやられたり、牛の脳やヘビなど食べたり、西双版納で寝込んだりしたが、30年前は怖いものなしの若者(ないし馬鹿者)だったと我ながら思う。
SARS や今般の COVID-19 も「むべなるかな」という感想しかない。
※「感染者マップ」みたいなものは、私は作りません(作るべきではないと考えている)。

余談。
いつか中国の後塵を拝するだろうとは思っていたが、想像より早く置いて行かれた日本は、もはや先進国ではないし、G7 や G20 のメンバーにも相応しくないと思う。コンパクトで質実かつ謙虚な中堅国を目指せばいいのに、とも思う。
もっとも、過去の成功体験(昔の東京五輪や高度成長期など)の記憶を持つ年配の世代が暗躍しているうちは、難しいだろうけれど。

「功名心」とか「名誉欲」という言い方は、どちからといえばネガティブに捉えられやすい。だが、成功する人物というのはたいてい欲が有る。たいてい欲が深い。たいてい強欲である。欲望は成功への必要要件である、たぶん。
私はというと、とにかく欲が無さすぎた。功労とか栄誉褒章といったものも好かない(※表彰を目的として地位や肩書にしがみつく先例はザラにある)。
私にもう少し欲があれば、ちったぁ出世したかも知れないと思うし、今のようなダメ人間にはならなかったかも知れないと思う時もある。
欲のみならず学歴も財産も私には無い。知性も無いが痴性は有る。