参謀本部による昭和19年製版「三百万分一歐亞航空圖」レニングラード-モスクワ-スターリングラード。飛行場やラジオビーコン、放送局などが書き込まれている。Stanford Digital Repository から。
の当時の呼称はレニングラード、
はスターリングラードだった。
ドニエプル川の中流にあるウクライナの首都 はロシア語の呼称、ウクライナ語ではキーウと呼ぶらしい。
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昭和19年なので【ウクライナ「ソ」「社」共和國】と、ベラルーシは【白露「ソ」「社」共和國】という表記になっている。この時代のかたちにプーチンは戻したいのだろうが、しかし老人のノスタルジーは往々にして害をなす。
この1944年は日本軍がインパール作戦を開始し、ドイツ軍はハンガリーを占領し、ソ連軍がフィンランド攻撃を開始するなどした年。翌1945年に原爆が落とされ日本は敗戦にいたる。
いま軍事技術は格段に進歩しているが、ロシアのストラテジーはさほど進化していないのではないか?
(中目黒にあったころの防衛研究所にも私は出入りしていたので、無知ではないつもり)
私が物心ついたころソ連の指導者はブレジネフだった。その前がフルシチョフ、さらにその前がスターリンだったことを鑑みると、50年や100年などという時間軸は大きくないのだな、と改めて思う。やはり一度ソ連に行って見聞しておくべきだったと後悔もしている。
なお重宝させてもらっている JavaScript ライブラリの Leaflet は、ウクライナの Vladimir Agafonkin 氏が開発したもの。いまサイトのトップページが悲痛だ。
この記事の続き:クリミア半島と黒海周辺の古い航空図
のんびり野球を見ていられる平和の尊さよ。