次は国土地理院の国土画像情報(第一期1974~1978年撮影)の相模原市緑区~清川村。宮ケ瀬湖に水没する前の画像だが、これに現在の湛水域を被せてみた。
あわせて1961~1964年の空中写真や地形図も見ながら
宮ケ瀬湖の北側、道場地区から北東に流れる串川沿いに、
その流路幅に比べて不釣り合いに幅広い谷底堆積地および河成堆積段丘が発達する・・・早戸川は、落合で南東に急転向し、中津川に合流する。その転向点の北西には、道場の南東(道路ぞい)に串川の谷底低地に続く平坦な風隙がある。よって、串川はかつては早戸川の下流であったが、中津川の支流に争奪された被奪河川である
これが「鳥屋の河川争奪」とのこと。 の争奪、
の争奪などに比べ、知名度は低いようだ。
は1971年着工、2000年竣工で、堤高156m、サーチャージ水位と常時満水位は286m、湛水面積はさほど大きくない(460.0 ha)が貯水量は奥多摩湖(小河内ダム)や奥利根湖(矢木沢ダム)に匹敵する(193 M³)。中津川は深い渓流だったということ。またダム建設により(落合、横根、馬場、平沢など)281戸が移転した。
河川争奪の跡を見抜くのは、素人にはなかなか容易でない。谷がダムに水没していると、尚更。
国土地理院「日本の典型地形について」から「4.河川の作用による地形」を参照した。