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蒲蒲線の件など

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Atom 配信を終了しました

Google Reader の提供が終了したのが2013年7月。そして今般、Google Feed API も終了。
rdf、rss や atom などのフォーマットが入り混じり Technorati、delicious や Feedburner などが流行したこともあったけれども、時代が変わった。
当方も、だらだら出力してリソースを無駄遣いしていた atom をやめました。

まわる まわるよ 時代はまわる

と中島みゆきが歌っていた頃、中国の鄧小平は尖閣諸島の問題について次のように言った。

我々の、この世代の人間は知恵が足りません。この問題は話がまとまりません。次の世代は、きっと我々よりは賢くなるでしょう。そのときは必ずや、お互いに皆が受け入れられる良い方法を見つけることができるでしょう(1978.10.25、日本記者クラブ記者会見)

常套手段としての「先送り」あるいは「棚上げ」の典型だったが、結局のところ次の世代でどうなったかというと、事態はさらに悪化してしまった。
Generation は一般に「世代」と訳されるが、もともと「約30年≒一代」を意味する。およそ三代で100年(Century)となる。ところが

生きることの最大の障害は期待をもつということであるが、それは明日に依存して今日を失うことである(セネカ)

次世代のため、未来に花が咲き実が成るよう今のうち種を播いておこう・・・というような長大スパンでモノを考えることは困難な状況にある。それどころか負債を次世代に積み増している。
政治レベルのみならず会社経済でもそうだ。短期スパンでの結果ばかり求められるものだから、決算の粉飾やデータ偽装などなど、不祥事が後を絶たない。

しかし一方で、未来の自分に期待し「未来の自分が何とかするだろう」などと依存してはいけない。若いころの私のそんな甘い期待に、果たして枯れた中年となった今の私がバッチリ応えているのか? というと、結果はまったくダメだ。とりわけ長期のスパンで、未来に期待しすぎてはならない。セネカの言うとおり。
これとは反対に「明日に延ばせることは今日やらない」というラテン的な人生観は、短期的スパンとして実は決して悪いものでもない(ただし、怠惰と看做されやすい)。世界の政経を牽引するようなインデックスは何もないが、しかしラテン諸国には、不思議なことに不幸な感じがない。
現在の我が国とこの社会においては許容され得ないスローな部分であり、羨ましいところでもある。

年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず

iMac のあと 2002年から三菱のCRTディスプレイ、2009年から IIYAMA の液晶モニタ ProLite E1902WS を使っていた。
昨今、明らかに視力が衰えているので、EIZO FlexScan EV2450 に交代。

EIZO-EV2450

こうして少しずつ、確実に、世代は進んで老いが忍び寄る。

「蒲蒲線」構想

東急蒲田駅と京急蒲田駅を結ぶ「蒲蒲線」構想について、大田区は国土交通省などに対し事業化を働きかけるとのこと。
両駅は約800m離れており乗り継ぐには10分ほど歩かなければならない(以前、実際に歩いてかなり遠かった記憶がある)。問題として、財源のほか、線路の幅(軌間)が違う(東急線は1067mm、京急線は1435mm)点も直通運転を困難にするらしい。
赤い部分が、だいたいの想像図。

実現するか否かは不明だが、実現するとしても、これもまた一世代ほどの歳月を要するだろうか。