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濃尾地震の災害

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「いさぼうネット」の『歴史的大規模土砂災害地点を歩く』を愛読している。
一般財団法人砂防フロンティア整備推進機構の井上公夫氏によるシリーズコラムである。
先週掲載された No.32「明治24年(1891)の濃尾地震直撃による土砂災害」から。
1891年10月28日6時38分に岐阜県本巣郡西根尾村の水鳥(みどり)北方を震央として発生した大地震。

色別標高図:  

特に興味深かったのが、次のくだり(マップ中「伏」箇所)

山県市(旧高富町)の深瀬では、梅原断層の北西側が約2m陥没したため、それまで鳥羽川に流入していた支流が排水口を失い、東・西深瀬地内において220ha、湛水量200万m³の新湖が形成されました。翌年の明治25年(1892)、鳥羽川の下をくりぬいて人工河川を造り(川の立体交差)、高低差のなくなる下流で再び本川に合流させる「伏越し」と呼ばれる工事が行われました。しかし、その後も大雨の度に浸水し、特に昭和51年(1976)9月の集中豪雨時には、濃尾地震後と同規模の湖が形成されるなど、地震の後遺症が残っています

なるほど我が国の Civil Engineering は、明治期で既に凄い。

マップ中「岩」箇所は巨大な移動岩塊。測ると、NW-SE方向に130m、NE-SW方向に最大40mはある。
こんな巨大な塊が山の斜面をずるずる落ちてくるのだから凄まじい。もっとも、八ヶ岳の稲子岳のような「ずり落ち」から比べれば小物だろうが。

また、いわゆる酷道157号の「落ちたら死ぬ」区間では、大規模崩壊によって天然ダムが形成されたとのこと(マップ中「崩」箇所。関連記事:冠山・根尾周辺の古地図

「いさぼうネット」は、地学や土木の関係者・専門家でなくても、たいへん勉強になる。