日本国憲法について

Home » Blog » 日本国憲法について, published: 2013-05-03 (updated: 2013-05-03)

安倍首相は憲法96条の改正に意欲的だが、今日の朝日新聞には否定的な記事や、市民団体の意見広告がずらりと並ぶ。

第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

朝日新聞の社説には

自民党などの改正論は、この「3分の2」を「過半数」に引き下げようというものだ...
だが、これでは一般の法改正とほぼ同じように発議でき、権力の歯止めの用をなさない。戦争放棄をうたった9条改正以上に、憲法の根本的な性格を一変させるおそれがある...
私たちが、96条改正に反対するのはそのためである

高いハードルを低くしようというのは、確かに如何かと思うし、切り口として姑息と思われる。

私は朝日を信奉しているから新聞を取っている、というわけではない。憲法がアンタッチャブルな「マグナ・カルタ」であるべきとも考えない。
日本には、「はじめに法ありき」という大陸法的な観念が根付いている。だが現在は、事実に即して柔軟に対処する英米法的(判例主義的)な潮流も強まっている。
そもそも日本国憲法の草稿は、土壌の異なる判例主義の米国によって作成されている。
この思考回路のギャップや齟齬が、多方面で解釈や主張の混乱を招いているように思えてならない。

私の個人的な意見としては、9条1項に、とくに問題があるとは思わない。

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

9条2項が、現実と乖離している。

(九条二項) 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

専守防衛にしても、戦力は要る。攻撃されたときに、座して滅亡をまつのはあり得ない。
国際連合憲章に定められる概念「自衛権」が国家の固有の権利であることに疑いはない。「集団的」か「個別的」かといった解釈は、国際法より優越する憲法にわざわざ明示する必要もない。
平和を担保するために重要なのは、

第六十六条(二項) 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。

子供の頃、この「文民」を「教養や知見のある人」という意味だと私は勘違いしていた。実際には Civilian の意味で「武官」の対語であることを、大人になってから知った。
明治憲法下で軍人が陸軍大臣や海軍大臣に就いていた反省から、「武官」は大臣になれないというシビリアン・コントロール(文民統制)の「歯止め」を効かせている。
GHQ によって起案され米国からもたらされた貴重な規定だと思う。
こういう「平和のための担保」を強化することで、9条改正は整合できるのではなかろうかと思う。

また「権利」や「自由」という聞こえのいい言葉は憲法に30回以上出てくるが、「責任」や「義務」という重苦しい言葉は、少ない。

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

Rights や Freedoms は、いかにも米国好みのワードだが、「濫用してはならない」と明記されている。
メディアの主張や意見広告においても、行き過ぎないでもらいたいものだ。