地図蔵 ▷ 2012年までの記事「上高地 西糸屋山荘」

上高地 西糸屋山荘

(2011年8月13日)

初めて上高地を訪れたのは25年前、昭和61年の初夏だった。住んでいた松本から原付バイクで入った(バブル最盛期の当時はまだ環境・自然保護に対する社会の共通理解が成熟していなかったので、マイカー規制もなかった)。

その後、私にとって「人生のベース・キャンプ」ともいえる意味深い場所となったのだけれど、しばらくご無沙汰していた。

前回訪れたのは平成8年。今回15年ぶりの再訪は、家族も一緒。

上高地の写真といえば、あの構図で掲げるのが普通かもしれないが、

六百山
上高地を訪れる人の九分九厘は見向きもしない「六百山」(2450m)。しかしその素性は、容易に人を寄せ付けない難攻不落の山(20年前、私も負けた。中畠沢左岸をツメきった小ピークでルートを見失った)。
だが、私は好きだ。若いころはピークを踏むことに執着があったが、今はない。それでも好きだ。

もちろん穂高は瞠目すべき光景を提示してくれる。しかし上高地の魅力は穂高だけではない。
たとえ穂高が見えなかったとしても、上高地の魅力が減ずるわけではない。

花

清水川

梓川
かつて私は梓川で泳いだりもしたのだが、今の時代はもう無理だろう。
かつて私は真冬の上高地に沢渡から徒歩で入ったりしたが、今やると家族に怒られるだろう。

よくある「ツアー」というものは、旅行エージェントが演出し、過ごし方のスタイルまで提案し、それを参加者が甘受する受動的・他律的なもの。
しかし、それは「ホスピタリティ」などとは本質的に異なる。本来、「旅」とは能動的・自律的なもののはずだ。

私の場合、自然と対峙するとき、「憧憬」よりも「畏怖」が先立つ。
上高地を質実に五感で体感しようとするならば、アメニティなど要らない(少なくとも私には)。静かな環境のほうがいい。そのほうが、自然に対して素直に「参りました」と思える。

よって宿泊は、質実な西糸屋山荘 Nishiitoya

春の残雪期、梅雨どきの新緑、秋の紅葉と冠雪など、時期を変えて訪れるとまた一興。