地図蔵 ▷ 2012年までの記事「チベットの東、四川の西」

チベットの東、四川の西

(2008年3月20日)

1990年12月に中国・雲南省の梅里雪山で京都大学学士山岳会が遭難する事故があった。そのときちょうど私は近くの麗江にいた。

今ではただの呑み助だが、その当時は私も若く、登山好きで、冒険心もあり、かつ「秘境」とかいう言葉に誘惑される数寄者だったので、年明けて91年の2月、四川省に回りこんだ。
当時この地域は外国人に開放されておらず、一般旅行者の私はブラックマーケットで兌換券を人民元に替え、康定・濾定とミニヤコンカ周辺(海螺溝氷河)だけ潜り込んだ。

四川省の西半分・山岳地帯は、もともとチベット族の領域で、漢民族のエリアでない。いろいろな本を読むと、中国共産党が「解放」した(チベット側の言い分では『侵略され、文化大革命のときには多くのチベット人が殺され寺院が破壊された』)。

この地域をカム(kham)といい、この地域に住む人たちをカムパという。勇猛果敢で好戦的な気質らしい。いまチベット騒擾問題が起きているところ(アバはナムドに入る)。

その当時、ダルツェンドの町ではチベット人はたいてい山刀というかナイフを携えていて、仏教寺院は荒れ果て、ある意味スリリングだった。今はずいぶん変貌しているだろうけれど、オリンピックを控え、チベットと新疆という爆弾を抱えた中国がどうなるのか、興味深いところ。アムネスティもシーシェパードも、ラサでなくカムへ走りたまえ。

91年当時すでに、成都から、あるいは麗江から陸路ラサまで潜入するつわもの旅行者はいた。途中で公安に捕まってUターンを強いられた日本人もいた。ラサは空路で誰でも行ける。カムのほうが難しい。
最近の情勢を見ていると、中国共産党政府は、まだまだ当分この地域を外国人に見せないだろうなあ、と思った。地図も当分は空白のままだろうなあ。

地理的には『ヒマラヤの東―雲南・四川、東南チベット、ミャンマー北部の山と谷』(中村 保 著、山と溪谷社)という名著がある。
※註: 私はとりたてて政治思想とか持ち合わせてない。ねんのため。