地図蔵 ▷ 2012年までの記事「善かれと」

善かれと

(2004年2月22日)

★ 日経に、猪木武徳という経済学者さんがコラムを連載している。その肩書きからは意表を突かれるような、深い慧眼に感嘆する。数字や横文字を多用するだけの経済学者さんではなく、その根源的な思考は示唆に富んでいる。
★ 「犯罪のない安全な社会を誰しも望む。しかし犯罪を社会から一掃するためには、多くの予算と人的資源が必要になる。すべての人間の行動を常に監視すれば、犯罪は無くなると考えられるからだ。しかし罪を犯すものがいない『警察国家』を、善い国家と考える者はいないだろう。つねに善くあれと強制されている社会が「地獄」であることは、全体主義国家がすでに証明している」という。単なる経済の思考とはやや異なる。また、社会は階層があるからこそ健全に成り立ち、人間がみな平等であるという思想は正当でない、といった旨の指摘もされている。
★ いまどきの言論としてはやや過激かもしれない。しかしその洞察は至極正論だと思う。猪木教授について調べてみると、父親は猪木正道氏だという。道理で洞察が鋭い。
★ 上記の思考は、敷衍すれば万事に当てはまると思う。チリなど南米諸国にはやはり(ホワイトやブルーという古い線引きにとどまらぬ)明白な社会階層があり、根源的に公平とは言えないかもしれない。70年代には、チリは政治的に善かれと、国民すべてが平等になりかかった。しかし早々に(東西ドイツやソ連よりずっと早く)、その体制は瓦解した。そのぶん、今日の東欧やロシアのように世界の潮流から置き去りにされることなく、健全な自由主義国家として成長している。
★ 常に現実は理想を凌駕する。人間が集合する現実の社会には、いろいろなことが起こりうる。人生にはいろいろなことが起こりうる。だから、社会にせよ個人にせよ、万事について――危難や変化に対処するときのために、ふところに含みをもたせ、寛容さを備え、(時に不公平な)現実を許容するほうが、健全だろうと思う。
★ この点で、カトリックという包容力を後ろ盾にもつチリよりも、モラルや倫理の明確な規準を持たない日本のほうが窮屈で閉塞しやすいだろう。
★ もし窃盗に遭った場合、日本なら「悪い奴がいるもんだ、気の毒に……」であるが、チリなら「スキを見せ、泥棒に出来心を起こさせたお前が悪い」で片付けられるだろう。仕事でミスをした場合、日本なら「すみません、実は……」という言い訳である。これがチリなら「そうならざるを得ない理由があったのだ」という堂々とした主張である(事実はともかく)。
★ 人間も国も、なべて均等でない。それが当然。違うからこそ、おもしろいのだろうと思う。