地図蔵 ▷ 2012年までの記事「30にしてたつ」

30にしてたつ

(2003年12月19日)

★ 「…四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」 と孔子は論語にいうけれど、現代ではあまり通用しない話です。真に受けてはいけませんね。
★ 70歳を過ぎても、惑う人(日本の政治家に多いですね)や、別件が勃つ人(アルゼンチンの政治家にいますね)や、欲望が衰えず道を外す人(世界中の政治家に多いですね)もいますから。なかでも特に、「不惑」というとこが難しいのかな。すべての世代共通で。
★ 最近、目にするとイヤな言葉=「私らしい生き方」「自由に生きる」など。騙しているのは誰だ?
★ 「自分ってこういう人だから」と若い人はよくいうけれど、すごいなあ、と思います。私は自分自身が「こういう人だ」などと考えたことがない。自身の枠組みを決めてたら、未来の可能性も狭めるのと違うのかなあ、とか思ってしまいます。自分を正当化するには都合がいいけど。
★ また 「自由」 というと、無条件に素晴らしい響きをもって聞こえますけど、それも違うと思います。
★ おそらく、「今こうするよりほかに道はない」という状態を「不自由」というのでしょう。人間関係(例:親、兄弟、夫や妻、子など)や、社会的なしがらみ(例:近所関係、仕事関係、職場のイヤな上司、仕事しない部下など)、そして何より自分自身の中にあるこだわり(例:プライド、学歴など)の中での生活に、息苦しさや辛さを感じる。解放され、楽に、自由に生きたい、と思うのでしょう。
★ でも、はたして上記のような様々なしがらみから解放されて、完全に 「自由になった」 としたら、どうなるか?
★ これは辛すぎます。「誰からも必要とされない」ということでもありますから、孤独です。だから、世の中が自由になればなるほど、孤独な人間も増えているように思います。
★ 日本の、特に雑誌には、この手合いの、都合のいい 「自由」 なコピーが氾濫しているような気がしました。チリでの「Libre」「Libertad」という言葉は、また質と重みがまったく異なりますね。「自由」 という言葉は、軽々しく使ってはいけないのかも。