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海外移住・ドミニカ共和国の件
★ 第1回の芥川賞は、1935年(昭和10)の石川達三。その受賞作『蒼氓(そうぼう)』は、日本人の南米移住を描いたものです。この小説のように移住の辛苦が語られることは少なくありません。以下は、いちばん酷いといわれるケース。
★ 日本政府が募集し1956(昭和31)年に入植が始まったドミニカ移住。国が示した条件は、「300タレア(東京ドーム4つ分)の土地を無償譲渡、さらにその土地は肥沃」だったそうです。3年にわたり249家族1319家族が入植。しかし、楽園どころか不毛の地で、約束された土地の配分もなかった。困窮する中で集団帰国、南米転住が行われ、一部の人々が残留しました。
無償譲渡されたのは日本政府が約束した土地の1/3。しかも、その土地たるや岩や石ころだらけの不毛の荒地、塩の一面の砂漠など、そのほとんどが農業に適さない耕作不適地で、さらに深刻な水不足も追い打ちをかけた。土地の所有権も認められていなかった。
「カリブの楽園で広大な農地を無償譲渡」。この日本政府の言葉を信じ、半世紀前、海を渡った約1300人の日本人の夢と希望は一瞬にして打ち砕かれた。入植時のドミニカはトルヒーヨ独裁政権下で、半強制的に収用した土地も多かった・・・政権の崩壊とともに略奪の対象とされ、わずかな収穫物や農具さえ強奪された。移住者の中には逃げ出し、生活苦の末、自殺した人々も少なくなかったという。
(『そこに楽園は無かった~ドミニカ移民 苦闘の半世紀~』(鹿児島テレビ放送))
★ 移住者らは、広大な土地の無償配分をうたった募集要項の履行を求め続けたものの交渉は決裂。2000年7月以降、3次にわたって東京地裁に提訴しました。原告は移住者177人(うち物故者16人)、国を相手に損害賠償を求めたこの裁判は、2005年10月17日に東京地裁で開かれた口頭弁論を最後に結審し、来週7日(水)判決が言い渡されます。
★ 最大の争点は、ドミニカへの移民が「国策」かどうか。
★ 2004年3月、小泉純一郎首相は国会答弁で「外務省に反省すべき点はある。不手際を認め、移住者に対し、しかるべき対応を考えたい」と発言しましたが、外務省は「首相発言は法的なものではなく、和解の意思はない」との見解を示しています。ドミニカ移民は「国策」でおこなったのではなく、ただ「斡旋」しただけだとの立場です。「手続き」はJICAが行い、配分地が募集内容と違った点については「ドミニカ政府の問題」だとしています。
第159回国会 衆議院 外務委員会(2004年03月18日)
○外務省がこの募集要項作成に携わったというふうに公文書で明らかでありますけれども、募集要項の作成者は外務省ですか、海協連ですか。
○鹿取政府参考人 募集要項の作成は海協連でございます。
○川内委員 募集要項の作成に具体的に主体的に加わったのは外務省でしょう。
○ 鹿取政府参考人 先生よく御承知のとおり、募集要項は、農林省あるいは政府が作成する募集要領に基づいて書かれます。その募集要領を作成するに当たっては、外務省がドミニカ政府から聞いた情報あるいは調査の結果、そういうものを踏まえて募集要領がつくられます。その募集要領に基づいて書かれるのが募集要項でございます。
○川内委員 それでは、募集要領でも募集要項でもいいですわ。とにかく、ドミニカ移住に関して、主体的に具体的に情報を集め、そしてその作成に中心的に携わったのは外務省ですね。
○鹿取政府参考人 まず、政府が作成します募集要領にはさまざまな情報があります。
例えばその地域の情報、あるいはどういう形で募集を求めるか、こういう問題は、その地域の情勢は現地の大使館が集めると思います。また、どういう形の移住者を募集したらいいか、こういう問題は、相手国政府との交渉によって決まります。他方、土地の性状でありますとか水の状況、こういうものは、また地元の海協連の事務所あるいは農林省の関係者、こういう方が集めることになります。
したがって、募集要領というのは、外務省だけではなくて、関係省庁あるいは海協連の事務所、関係者の総合力、関係者のそれぞれの役割に応じて作成されるわけでございます。
○川内委員 では、募集要領並びに募集要項の作成に外務省が携わったということは間違いないですね。
○鹿取政府参考人 募集要領の作成に外務省も携わっていることは事実でございます。
○川内委員 農林省あるいは海協連あるいは相手国政府、いろいろな連絡調整を外務省が中心になってやった、中心という言葉が嫌なら、真ん中に外務省があったということでいいですね。
○鹿取政府参考人 外務省が調整して作成したということは事実でございます。
★ 「海協連」は、日本人移住者の支援事業を目的とした「海外協会連合」のこと(のちの「海外移住事業団(63年)」、「国際協力事業団(74年)」、現在の国際協力機構)。私も93年から96年までJICAの体験移住みたいな制度でチリに住み世話になりましたが、今のJICAの内部組織には、もう移住事業はないようです。
★ うちのカミサンはパラグアイ生まれですが、長兄はドミニカ生まれ。つまり祖父母は、そのドミニカ移住の当事者です。母方は引揚げ、父方は残留、だからドミニカ共和国には親類が残っているといいますので他人事でもなく、司法の英断を待ちたいところです。そしてそうなれば、国は原告団の高齢を鑑みて、控訴はしないでいただきたいと思っています。
★ また、訴訟原告団事務局長の嶽釜徹さんという方が、7日17時からフジTV「スーパーニュース」、23時からTBS「ニュース23」に生出演されるそうです。
////// 【6月7日追記】 ///////
★ 東京地裁の判決は、「請求を棄却」。「外相や農相、担当職員は、農業に適した土地かどうかを調査する義務や、移住希望者に情報を提供する義務に違反した」と述べ、当時の国の対応は違法だと指摘。しかし、提訴時には入植から20年以上が過ぎ、賠償請求権が消滅していたと結論づけた。
★ 政府内には「事実上の敗訴」(外務省幹部)とする受け止めもある。原告側は控訴。
★ 司法の判断だから仕方ないけれど、我が国は、在外の同胞に対して、冷淡すぎるきらいがあるように感じることが、私にはしばしばある。ケースは異なるけれども、戦時中に米国へ強制連行された中南米日系人に対する合衆国政府の謝罪と賠償などに比べたら、たいへん冷徹なものだ。また、これも次元は異なるけれども、フジモリのような人物を政治判断で厚遇したり、中国にODAを拠出したりするのも、国の姿。そのくらいのことをするくらいなら在外の日本人を救済してくれてもよさそうなものを・・・とか不遜なことを思ってしまう。使い捨ての人柱ではないのだから。
移民訴訟判決要旨/東京地裁
【結論】
移住政策の遂行過程での職務上の法的義務違反を理由とする国家賠償法の損害賠償請求は請求権の発生が認められるが、法的には除斥期間の経過で消滅しており、棄却は免れない。その余の請求はいずれも理由がない。
【国賠法上の請求】
▽移住の性格
国が当時重要な政策と位置付けていた国民の海外移住政策の一環として外務省、農林省が企画立案し、日本海外協会連合会(海協連)に指示して実施。国の政策の下に移住を決意して実際に移住した。1956-59年に10数回にわたり249家族、1319人が移住した。
▽担当職員の義務違反
海外移住は移住者とその家族の人生に多大な影響を及ぼす。農業移民の場合は何よりも入植地の適性が問題になる。国にはドミニカ政府との交渉で、農業に適し、努力を積めば所期の目的が達成できる農地を備えた移住先を確保するよう配慮することが求められる。
本件を総合検討すると、外務省、農林省の担当部署所属の職員には、このような移住先確保に配慮すべき職務上の法的義務を条理上負っていたが、それを尽くさなかった点で義務違反があった。
55年9月に現地調査をした調査団は入植予定地の農業適性を十分調査せず、ドミニカ政府との受け入れ条件に関する交渉でも細部の詰めを十分にしないまま検討を進めた。現地公使館はドミニカ側からダハボン地区への入植についてかんがい用水確保などで難色を示されたのに十分調査せず、日本人移住者であれば対処できると早期の移住実現を強く働き掛けた。
入植予定地の決定、入植の実施過程でも農業適性に関する調査や検討を尽くさず、入植地で配分される予定の土地の面積などに関する調査、検討も尽くさなかった。
▽情報提供義務
当時は国民が遠く離れたドミニカ移住地の状況を自ら調査するのは困難で、担当部署の職員は移住するか否かを判断するために必要となる重要な情報を的確に収集し、移住希望者に提供すべき職務上の法的義務を条理上負っていた。
移住者らはドミニカの法律や交換公文で取り決められた基本的条件に基づき、営農や土地所有権の取得で制約を課される立場にあった。農業経営基盤の根幹にかかわる重要事項だったが、募集要領、募集要項には具体的な記載が一切されなかったり、不十分だった。
【外相、農相の法的義務違反】
本件移住の性格に照らすと、行政事務を統括していた外相、農相にも同じく職務上の法的義務違反があった。国賠法上、違法の評価を免れない。国には損害賠償義務が発生したといわなければならない。
【除斥期間】
民法724条で不法行為に基づく損害賠償請求権は不法行為の時から20年で消滅するものとされ、この規定は除斥期間を定めたものと解される。原告らが入植した時点が除斥期間の起算点とするのが相当。訴訟提起は20年以上経過した後であり、請求権は既に消滅したことになる。
原告らは98年6月の最高裁判決を援用し、正義、公平の理念に著しく反する場合は除斥期間の適用が制限できると主張。しかし原告らは62年時点で国の責任を追及するため積極的に行動し、遅くとも74年4月ごろまでに土地問題解決は直接日本政府と交渉すべきとの前提でさまざまな取り組みを開始していた。
民法724条の適用が著しく正義、公平に反するとは認められない。保護義務も発生したとは認められない。
【債務不履行】
国が「移住者送出契約」の一方の当事者と評価することは困難。移住条件の内容面でも国が主体になって実現を約束したとは評価できない。移住者送出契約の成立は認められない。生命や健康を危険から保護するよう配慮すべき安全配慮義務の存在も認められない。
【入植地に関する調査義務違反の概要】
▽農業適性
ダハボン地区では、水不足、浸水の問題点について、ドミニカ側が早急な対策が困難として、ちゅうちょする姿勢を示していたが、外務省や現地公使館は大した問題とはならないと移住の実施に踏み切った。コンスタンサ地区では、市場の大きさ、流通の手段・方法等について十分な調査、検討がされなかった。
ドゥベルヘ地区とネイバ地区では、かんがい耕地が十分でないことや土地に塩分が含まれていることを把握していたが、入植適否の調査は尽くされなかった。ハラバコア地区では、営農に必要な水量が確保されるのか具体的に検討すべきだった。
▽配分土地の面積等
ダハボン地区第1次では、交換公文で「300タレア(1タレアは約600平方メートルに相当)までの土地を供与する」と取り決められていた。しかし入植後5カ月近く経過した後に、1戸当たり85タレア前後の土地が配分されただけだった。
移住中断の間、現地大使館は移住者の不安定性の最大原因は耕作地の面積にあり、募集要項通りの面積が配分されていないことを問題視。それにもかかわらず移住を再開、土地配分の実現可能性について、十分な調査、検討が行われなかった。


実は過去の移民事業についてを担当するこじんまりとした部署がJICAにはしっかり存在するらしいですよ。はい。やはり、お仕事はいろいろあるらしいです。
>> gatitaさん
93年ころは「移住事業部」とかいって人員もそれなりの組織だったように記憶しています。今は規模縮小で課室とかいう状況なんでしょうかね・・・融資の回収とか・・・。モンダイは主管官庁のガイムショウですねぇ。